美容は戦いだった:たかの友梨が歩んだ時代と女性たち

2025年6月15日

「美容は、戦いだった」。

そう聞くと、今の若い世代は少し驚くかもしれません。
けれど、私たちの世代にとって、その言葉は肌感覚として理解できるものでした。

たかの友梨という一人の女性が、エステティックという文化を日本に根付かせようと奮闘した時代。
それは、女性が美しくあることにさえ、時に説明や言い訳が必要だった時代と重なります。

こんにちは。
長年、女性誌の編集者として美容業界を見つめてきた、ライターの藤井 梓です。
私自身、数えきれないほどの美容家や女性たちを取材してきましたが、たかの友梨氏ほど、時代の光と影を一身に浴びた存在はいないでしょう。

この記事で描きたいのは、単なる一人の成功物語ではありません。
美容を、自分を肯定するための武器として、社会と、そして自分自身と向き合ってきた女性たちの肖像です。
彼女たちの静かな、しかし確かな戦いの記憶を、共に辿っていきましょう。

たかの友梨という存在

彼女の不屈の精神は、そのパーソナルな生い立ちと無関係ではないでしょう。
複雑な家庭環境で過ごした、たかの友梨氏の子供時代のエピソードは、彼女がなぜこれほどまでに「美」を通じて女性を力づけることに情熱を注いだのか、その根源を物語っています。

美容家としての出発点と時代背景

たかの友梨氏が東京・大久保に第一号店をオープンしたのは1978年のこと。
日本が高度経済成長の熱気の中にあり、女性たちの意識が少しずつ変わり始めていた時代です。

翌年には青山にトータルエステサロンを開設しますが、当時はまだ「エステティック」という言葉すら、多くの人にとって未知のものでした。
彼女は世界中を旅して最新の技術を学び、それを日本に持ち込みました。
それは、まだ誰も見たことのない「美の可能性」を提示する挑戦でもあったのです。

高度経済成長期と女性たちの自己投資

経済的な豊かさは、女性たちに「自己投資」という新しい価値観をもたらしました。
それまでは家庭のものが優先されるのが当たり前だった中で、自分のためにお金と時間を使うという選択肢が生まれたのです。

  • 生活の洋風化:ファッションやメイクが多様化し、美意識が高まる。
  • 情報の普及:雑誌やテレビが、新しいライフスタイルや美容法を紹介し始める。
  • 社会進出の兆し:働く女性が増え始め、プロフェッショナルとしての「見た目」も意識されるように。

こうした時代の追い風を受け、エステサロンは特別な場所として認知され始めます。

ブランド化された“美”——サロンの象徴性と広告戦略

たかの友梨氏の卓越していた点は、エステティックを単なるサービスではなく、一つの「ブランド」として確立したことです。
創業者自らが広告塔となり、テレビCMで「美しくなりたい!」と力強く語りかける姿は、鮮烈な印象を残しました。

それは、美しくなることへの願望を肯定し、公の場で語ることを許す、一種の「宣言」でもありました。
彼女の名前そのものが、美への憧れと、それを手に入れることのできる場所の象徴となったのです。

“美容=戦い”だった理由

社会的偏見との闘い:美容が軽んじられた時代

今でこそ美容は自己表現やウェルネスの一部ですが、当時はまだ根強い偏見がありました。
「贅沢だ」「見栄っ張りだ」という声。
エステに通っていることを、どこか後ろめたく感じていた女性も少なくありませんでした。

「夫や家族に内緒で、こっそり貯めたお金を握りしめてサロンの扉を叩いたんです。
誰のためでもない、自分のためだけの時間が、どうしても欲しかったから」

これは、私がかつて取材したある女性の言葉です。
美容にお金を使うことは、まるで罪悪であるかのような空気感。
それこそが、彼女たちが向き合わなければならなかった「戦い」の正体でした。

働く女性たちの「美」の攻防

1980年代に入り、男女雇用機会均等法が制定されるなど、女性の社会進出が本格化します。
しかし、そこには新たな葛藤が生まれました。

男性社会の中で「女」を武器にしていると見られないよう、あえて地味な服装やメイクを心がける。
一方で、営業職や接客業では、プロとして「美しくあること」も求められる。
この矛盾の中で、多くの女性たちが揺れ動いていました。

サロンに通うことは、この攻防を生き抜くための鎧を磨く行為でもあったのかもしれません。

サロンに通うという選択——恥じらいから誇りへ

たかの友梨氏の広告戦略は、こうした女性たちの背中を押す役割も果たしました。
テレビで堂々と語られる「美」は、日陰の存在だったエステティックを表舞台へと引き上げました。

恥じらいながら通っていたサロンが、やがて「自分を大切にしている証」として誇れる場所に変わっていく。
この意識の変化こそが、美容が個人のエンパワーメントへと繋がっていった大きな転換点だったと言えるでしょう。

顧客の声が語る「変化の実感」

実際のエステ体験談にみる自己肯定の瞬間

私が編集者時代に読者から寄せられた手紙には、サロンでの感動的な体験が数多く綴られていました。
それは、単に「痩せた」「肌がきれいになった」という物理的な変化だけではありません。

施術者の温かい手に触れ、悩みを親身に聞いてもらう。
鏡に映る少し変わった自分を見て、忘れていた自信を取り戻す。
その一つひとつの瞬間が、彼女たちの自己肯定感を静かに、しかし確実に育んでいました。

「美しくなる」ではなく「取り戻す」——年代別に異なるニーズ

サロンを訪れる女性たちの願いは、年代によっても少しずつ異なっていたように思います。

  1. 30代の女性:仕事や結婚、出産というライフステージの変化の中で、失いかけた「女性としての自分」を取り戻したい。
  2. 40代の女性:子育てが一段落し、これからは自分のために時間を使いたい。もう一度、輝きを取り戻すための場所。
  3. 50代以降の女性:エイジングという現実と向き合いながら、若さとは違う「成熟した美しさ」を見つけたい。

彼女たちは、画一的な美を求めていたのではありません。
それぞれの人生の物語の中で、「本来の自分」を取り戻すために、サロンの扉を叩いていたのです。

カウンセリングと“聞き役”としてのサロン

たかの友梨ビューティクリニックが創業時から大切にしている「愛といたわりの精神」。
その核心は、徹底したカウンセリングにあります。

ただ施術をするだけでなく、顧客一人ひとりの悩みや生活習慣にまで耳を傾ける。
エステティシャンは、技術者であると同時に、最高の「聞き役」でもありました。
誰にも言えなかったコンプレックスや心の澱を吐き出せる場所。
それもまた、サロンが提供する大きな価値だったのです。

メディアがつくった“美容神話”

女性誌と美容広告:たかの友梨が映された鏡

私たちメディア、特に女性誌は、この「美容神話」の形成に大きく関わってきました。
これは、編集者だった私自身の経験に基づく実感です。

メディアの役割広告主(たかの友梨)の役割
最新の美容情報を特集記事として紹介記事と連動する形で大規模な広告を出稿
読者の憧れを刺激する「美の理想像」を提示その理想を実現する場所としてサロンを位置づけ
読者モデルの体験談で「自分ごと化」を促進CMキャラクターで時代のアイコンを創出

誌面と広告は、いわば鏡のような関係でした。
互いに影響を与え合いながら、「美しくなれば、人生はもっと輝く」という時代の空気、一種の“神話”を共に作り上げていったのです。

ライター自身の経験に基づく当時の誌面の舞台裏

当時の編集部では、毎月のように美容特集が組まれました。
「マイナス5歳肌」「愛されボディ」といったキャッチーな言葉が誌面を飾り、私たちは読者の夢を煽ることに夢中になっていたのかもしれません。

たかの友梨氏のようなパワフルな存在は、私たちメディアにとっても格好の題材でした。
彼女の言葉、彼女の生き様そのものが、記事になったのです。
それは熱狂的であり、同時に少し危うさも孕んだ時代だったと、今になって思います。

神話化と距離感——メディアと読者の関係性

しかし、時代が進むにつれて、読者はメディアが提示する「神話」を鵜呑みにしなくなっていきます。
インターネットの普及で情報源が多様化し、自分たちのリアルな感覚とのズレを感じるようになったからです。

作られた美の理想像と、現実の自分とのギャップ。
この距離感に気づいたとき、女性たちはメディアとの付き合い方を、そして美容そのものとの向き合い方を変え始めたのです。

美容の価値はどう変わったか

20世紀から21世紀へ、美の定義の変遷

かつて「戦い」だった美容は、21世紀に入り、その意味合いを大きく変えました。
画一的な美の基準は崩れ、多様な価値観が生まれています。

  • 若さへの固執からの解放:エイジングをネガティブなものと捉えず、自分らしく年齢を重ねる「ウェルエイジング」へ。
  • 画一的な美からの脱却:肌の色や体型など、ありのままの自分を愛する「ボディポジティブ」の考え方が広がる。
  • 外見至上主義からの転換:心の健康や幸福感(ウェルネス)が、美しさの土台であるという認識が定着。

かつて美が「こうあるべき」という社会からのプレッシャーだったとすれば、今の美は「こうありたい」という個人の意思表明へと変化しています。

「若さ」より「自分らしさ」へ

現代の美容トレンドを象徴するのは、「パーソナライズ」というキーワードです。
AIや遺伝子検査によって、自分だけの肌質や体質に合ったケアを選ぶ。
それは、誰かの真似ではない、究極の「自分らしさ」の追求と言えるでしょう。

この変化は、私たち世代にとって、少し眩しく、そして喜ばしいものでもあります。

サロン文化の今と、たかの友梨のレガシー

では、たかの友梨氏が築いたサロン文化は、過去のものになったのでしょうか。
私はそうは思いません。

形は変われど、プロの手に癒されたい、誰かに話を聞いてほしいという根源的な欲求は、決してなくならないからです。
彼女が切り拓いた「女性が自分のために時間とお金を使い、心身をケアする」という文化。
そのレガシーは、現代のウェルネス志向や自己肯定の思想の中に、確かに受け継がれています。

まとめ

たかの友梨という存在が象徴したのは、一つの時代の女性たちの渇望そのものでした。
美しくなりたい、認められたい、自分らしく生きたい——。
その切実な願いが、彼女を時代のアイコンへと押し上げたのです。

この記事を書きながら、私は美容を“戦い”としてきた、あの時代のすべての女性たちに想いを馳せていました。

  • 社会の偏見や家族の視線と闘ってきた女性たち。
  • 仕事と「女」であることの狭間で葛藤してきた女性たち。
  • 鏡の中の自分と向き合い、自信を取り戻そうとしてきた女性たち。

あなたたちの静かな奮闘があったからこそ、今の私たちは、もっと自由に、もっと軽やかに「美」を語ることができるのです。

美は、自己肯定のかたちを変えながら、これからも続いていきます。
それはもう、誰かのためではない、あなた自身のための、誇り高き営みとして
この記事が、あなたのこれからの「美」との向き合い方に、少しでも優しい光を灯すことができたなら、これ以上の喜びはありません。

最終更新日 2025年6月15日 by kitairu