リゾート開発について教えて下さい。佐藤さん!

2022年11月29日

「リゾート開発を学びたい」
「リゾート開発の歴史を知りたい」
「アクアリゾート佐藤裕樹氏について知りたい」

リゾートの定義次第な部分がある事を最初に前置きしますが、一般的な意味でのリゾート開発とは、海岸や保養地や温泉地等の自然豊かな地域で、滞在型のリゾート施設を整備する事を指します。
18世紀のヨーロッパ等は一般大衆向けではなくて、一部の豪商であったり王侯貴族が余暇を楽しむ場所という事で定義されたりもしていました。
(※ドイツのバーホーデン等がその代表格)
ちなみに、施設開発という意味合い以外では、例えば町全体をリゾート都市にする為に整備する都市計画を「リゾート開発」と評する様な事もあります。

光本氏に聞くM&Aのメリットやデメリット

佐藤裕樹氏がリゾート開発を語る

言語的な切口では、リゾートのリ(=Re)は英語で「何度も同じことをする」という様なニュアンスがあり、後半のゾートはフランス語で「出かける」という意味です。
つまりワンセットにすると、「何度も出かけたい場所」という事になって、その内に行楽地を指す単語になったという経緯があるとされています。
(※諸説あり)
後は日本と諸外国との違いですが、日本語の場合では1987年のバブル期に制定されたリゾート法の影響もあって、「多様な余暇活動を楽しめる施設」という様な定義が一般的です。
ヨーロッパの方では「自然豊かな土地でノンビリ出来る様な施設」という様な定義が主流なのですが、日本の定義の場合はゲームセンターや遊園地等もリゾートに含まれる事になりますので、強いて言うなら日本の方が「賑やかな催し物が多数ある」という様なニュアンスが含まれていると考えておくと齟齬がありません。

アクアリゾート佐藤裕樹」も参考

リゾート開発の結果誕生した施設の特徴

他の特筆すべき点としては、大概のリゾート開発の結果誕生した施設は「複数の地元企業が出店しているタイプ」と、「単一の企業が全てを出資しているタイプ」という事で2つに分類される事が多いです。

複数の地元企業が出店しているタイプ

まず前者に関してですが、例えば大きい温泉施設があったとしたら、その中に地元のお土産店であったり、食材関連のお店があったりするという事で単一の企業だけで全ての都合が動く様な事にはなっていません。
他にも日本の長野県軽井沢等が例に出せますが、軽井沢の街単位にて、1つのリゾートを象っているというケース等もそれに当たります。

単一の企業が全てを出資しているタイプ

それと対象的なのが、後者の単一運営型でこの代表格は東京ディズニーシー等が該当します。
運営施設内は、全て運営企業であるオリエンタルランドが運営する会社であり、通常のリゾートの様に必ずしも自然豊かな土地に施設を作っているというわけではなく、場合によっては風景や環境まで全て自前で用意している様な事も珍しくありません。
後は、昨今自然保護が重視される様になってきた事もあり、リゾート開発の結果自然環境が不自然に歪められてしまう事への危惧であったり、心無い観光客による汚染行為が問題として取りざたされる様な事が増えている事も押えておきたいポイントと言えます。
他にも人口減少等の影響でかつてのリゾート地が荒廃化してしまい、再開発を考えようにも買い手の当てもなく、廃墟問題等と繋がって治安面や不法投棄の温床になってしまっている様な事もチェックしておきたい部分になります。

日本のリゾート開発の歴史

続いて、日本のリゾート開発の歴史ですが、近代的な形でのそれがスタートしたのは1874年(明治7年)の外国人パーティーによる神戸六甲山登山が切っ掛けだったと言われています。
これは近代的な登山が行われた日本初のケースでもありますが、この登山の後に続く人達の為に山道の整備が行われました。
この時点では、宿泊施設の建設までは行われていませんが、「余暇を楽しむ人の為の環境整備」という点では、日本初のリゾート開発と言えます。
宿泊施設まで出来上がるのは、これから21年後の1895年になってからであり、イギリス人貿易商グループが三国池周辺に別荘を建てた事を皮切りにして、急激に開発が進められていく事となります。
首都圏屈指の避暑地として有名な軽井沢も時期的にはこの頃に開発された事も、見逃せないポイントとなります。
軽井沢の方は1893年に東京と鉄道で結ばれた事がブームの一因ともされており、その輸送力は日本全体の開発という点においても、1つのターニングポイントになったという説もチェックしておきたい所です。
特に長野の方では、その後大倉喜七郎による1933年の北アルプス登山により、上高地帝国ホテルの誕生というイベントも起きました。
これは日本の山岳リゾートの走りとも言われていて、その後戦中戦後の混乱期の疎開先になる等、多くの出来事もありましたが、日本の開発は全盛期を迎えていく事となります。
そのピークが1987年のリゾート法制定であったのですが、この直後にバブル崩壊と拡大一辺倒だった事の反動が各地を襲う事となり、一部地域では今もその時の爪痕が残る切欠となってしまっています。

まとめ

昨今、外国人によるインバウンド期待という事で改めてリゾートの整備が叫ばれたりもしましたが、そこにコロナ禍の発生やウクライナ紛争等による物価高騰がダブルパンチになっており、この対策が喫緊の課題と言えます。

最終更新日 2025年6月15日 by kitairu