以前塾の教室で中学生の数学を教えていた女の子の話ですが、軽音楽部の部活を熱心にやっていて、サックスには自信がある、と言っていたのですが、それほど気にも留めずにただ数学の成績だけを心配していました。
3年生になって、高校受験モードとなり、この数学のデキではかなり心配と思っていたところ、偏差値もそれほどでもないところを受けると言い出したので、それならばOKと言いました。
ところが、部活の音楽の先生から東京の有名な私立の音楽大学の付属高を受けてみたら、と言われたとかで本人もまんざらではない顔をしていました。
音楽の先生が勧めるくらいの実力があるのか、と見直していたところ、本人は受けてもいいけれど音楽家になるわけでもないしそれほど高校から音楽を専門にするつもりもない、というようなことを言っていましたので、やはり公立の普通高に行って、将来のためもっと「常識」を磨いたほうがいいのではないかと私も思い、公立普通高のための受験勉強を手伝うことにしました。
やがて、受験日も過ぎ結果も知らないままに、ある日地下鉄の駅で彼女とばったり会いました。
ずいぶん疲れた顔をしているので、柔らかく
「どうだった。受かったか。」
と聞くと、
「うん。受かった。」
と言うではないですか。
「そうか。よかったな!それで音大高の方はどうだった。」
「受かったよ。」
私は全く驚いてしまいました。
「なんだ、大成功じゃないか。」
と言ったところ、本人はうかぬ顔をしているのです。
よく聞くと、本人としてみれば音大高の方は受かったけれど普通高の偏差値の高いところが受かったのでそちらに決め、音大高は断ったというのです。
音楽の先生にしてみれば、「もったいない。」の一言で、そのがっかり状態に本人はかえって驚き戸惑っていたのです。
さて、偏差値の高い高校に受かったはといえ、彼女はそこで授業に「苦労する」のは目に見えていましたし、次に大学を目指すにしても「周りが良くできる」中で自信をくじかれながら厳しい毎日を過ごして行くことは、確かです。
果たして、多少は自信のある音楽を中心に高校生活を送るということと比べてどうだろうか、と思ったのです。
もし仮に音大高に入って、おそらくその音大、ちなみに武蔵野音楽大学という有名な大学なんですけど、武蔵野音楽大学に進んだら、音楽にかかわりのある仕事に携わる、という道を傍目には勝手に想像するのですが、それが全くの「未知」であることは間違いありません。
音楽大学への道を進み、音楽大学をでるとそのの出身者は、必ず音楽と結び付けられて見られる宿命を負う、のは確かです。
彼女は、どうにでもなる「未知」を、そのように「見られる」ことを、「自然に避けた」のでしょうか。
最終更新日 2025年6月15日 by kitairu